子どもに感情的になったとき:BeingとDoingを切り分ける


この記事を書いた人

たじりなおこ

TRE(トラウマ&ストレス解放エクササイズ)で長年の悩みを解消できた経験から「TREをもっと広めたい!」という想いで活動中。2019年国際認定プロバイダー、2024年アドバンスプロバイダー取得。20代半ばからセラピストとして約7年間、解剖学に基づくメディカルマッサージ、フォーカシングをベースにしたカウンセリングを提供。2児の母。TREで健やかな毎日を♡ 
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汚れているのは手そのもの?

今回はBeingとDoingを切り分ける話をしたいと思います。

Being:わたしたちの存在そのもの。何かをするしないに関わらずある存在です。

Doing:わたしたちがする行為、態度、思考、感じることなどです。

わたしがこの2つの概念に初めて触れたのはずいぶん前の話。子育てについての記事でした。

そこには、もし子どもの手が泥だらけになって帰ってきたら

「手が汚い!」というのではなく「手に泥がついているから洗おうね!」と言葉がけをしましょう。

手が汚い=手そのものが汚れていると子どもが受け取ってしまうことがあります。(存在そのもの:Being)

汚いのは手そのものではなく、手についた泥ですね。(行為の結果:Doing)といった旨だったと思います。

そのときは、ふんふんたしかにそうだな。子どもの声かけをするときに意識しようと記憶にとどめただけでした。

思い出したこと

つい最近トラウマセラピーの藤原ちえこさんの連載を読んでいたときに思い出したことがありました。

連載記事はこちら→ 「本気でトラウマを解消したいあなたへ 第9回」(一定期間を過ぎると有料記事になります)

テーマはこども時代に受けたトラウマによる「恥の感覚」。

恥の感覚とは自分の存在を恥じ、また自分が悪い・自分は汚いと自責の念を持ってしまうことについてでした。

はじめは「恥」という言葉にピンとこなかったのですが、読み進めていくうちに、そういえばわたしもこれあった!と思い出したのです。

小学生くらいからわたしは自分について

・自分はみんなと違っていておかしい(そんな自分をどうにかしなければ)

・自分は卑しい存在だ(そんなわたしに触れられた相手は不快になるに違いない)

・自分には人に見せられないダークな部分がある(これが表に出ないように振る舞わなければ)

 

この感覚を意識の深いレベルで感じて生きてきました。

日常生活に支障をきたすことはありませんでしたが、大人になってセラピーを通してこの否定感を解放することに取り組みました。

このような底知れぬ自己否定の感覚を抱いたことある方に共通することなのかわかりませんが、わたしの場合はなぜ自分が自分に対して否定的な感覚をもっているのかわかりませんでした。

客観的にみるとこのような思い込みをしているのはなんだかおかしく感じますよね。でも、本人はその感覚を疑いもせず本気でそう感じていました。

自分のことなのに、原因不明の否定感を抱いているのは気持ちの良い感覚ではありませんし、これとずっとお付き合いするのは正直しんどいです。

この記事を読んで、蘇ってきた記憶と共にその根っこにたどり着けたように思います。

もしかしたらこども時代に身体に染み込んでしまったトラウマが根っこにあったのかもしれません。ようやく自分の中でバラバラだったピースがつながってスッキリしました。

 

子どもと自分自身 BeingとDoingに意識を向ける

はじめの「手が汚い」の話、

子どもに「あ~手が汚い!」と言ったことがトラウマになるか、存在自体が汚れていると言われていると感じるかどうかはわかりませんが(笑)

でもやはり、Being : あたなそのものは生まれてから変わらない存在であること

そして、Doing :あなたの行為、抱く思考や感情はあなたそのものではない

という意識をもっていることは子どもにも自分にもプラスに働くと思います。

これは子どものため、というよりはより深く自分とつながり子どもとつながることを助けれくれる、人生をより豊かに生きるために使える思います。

 

子どもは叱られると、たいてい反抗・防衛すると思いますが、

このときに、もし大人が強い暴言や暴力でねじふせるような態度を繰り返すと、今度は子ども自身が「自分の存在そのものが悪い」と思い込むようになることがあるそうです。大人の強い感情に巻き込まれて、子どもはもはやなぜ叱られているのかわけがわからなくなってしまうのだと思います。

「自分の存在そのものが悪い」という感覚はその後の深い自己否定につながる可能性を含んでいますし、一方、親の方も感情的になったり強く叱ったことに罪悪感や責める気持ちにを抱くことになると思います。お互いの感情の嵐が吹き荒れて大変なことになりますね。

そんなときは一呼吸おいてまずは子どもに対して、あなたの存在そのものを叱ったり責めたりしているわけではない。

そして自分自身にも、わたしの存在そのものが悪いわけではない。

BeingとDoingを切り分けて、ただ行為や態度(Doing)を変えることに意識を向けると冷静さが戻ってくると思います。

わたしも子どもといて感情的になることもあるのですが  「あ、やってしまった」と思ったら子どもに「大きい声出してごめんね」と言って何がいけないと思ったかを穏やかに伝え直すようにしています。そうすると、子どもも落ち着いて受け取ってくれます。最後は余裕があれば抱きしめる。このハグは最強だと思います。

 

自己存在の定義

ただ、頭でこうするといいと思ってもなかなかできませんよね。うわべだけの行為は疲れるし、長続きしません。

子どもに対して不条理に感情的になるというのは自分の中に未消化の想いや感情があるということが多いと思います。小さい頃に親から言われてきた言葉や、大人になってから身につけた信念などが元にあるのかもしれません。

もし、子どもとの関係を改善したい、子どもに対する自分の反応や態度を変えたいと感じたら、まずは自分の中に閉じ込めているものをクリアーにしていくと変化が起こりやすいと思います。わたしもずいぶん変わりました。

自己否定は、他者否定につながります。自分自身への寛容さがなければ相手にも厳しくなりやすいです。

自分自身のBeingを批判・否定してる部分はあるかな? Being と Doingを混同していないかな?

自分の存在をどのように感じて、定義しているかな?とご自身に問いかけてみてください。

もし、自分の存在を否定していることに気づいたら、こころの中で自分をハグして、存在そのものの肯定感を感じてください。あなたがこの世に生まれてきたとき、生まれたての赤ちゃんだったころから今この瞬間まで変わらずに根底を流れるあなたそのものの存在があります。いのちの本流を感じてみてください。その存在と出ている行為とは違うものです。それでもまだ否定的に感じる部分があるのであれば、その感覚を少しずつ剥がしていきましょう。ひとりで難しければ誰か信頼できる相談者やセラピストを探してください。

まずは自分自身のBeing と Doing 意識することからはじめてみてくださいね。

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