禅の本を読んでいます。

「禅」といえば京都で縁側に座って、お坊さんに棒でパシーッと叩かれる…
そんなイメージでした。

そして、諸行無常をうたう仏教はとても刹那的でなんだか虚しいものだと思っていました。

でも、違うんだ。

いわゆる精神世界を探検する中で、いくつかのキーワードを拾ってきました。

宇宙の根元としての神様
直感とつながる魂
エゴではないスピリットの神聖
生きている意味

ACIMでは、はいそこにエゴがありますね、それは幻想ですね、

神聖である自分に光を当てられるようにホーリースピリットにお願いしましょう。
愛がすべて、すべてが愛です。

と語っているけれど、(わたしの見解です)

禅も、すべての事象には実体がないですね、だから頭の中の思念にも意味はないですね、

その何もないことを体験するために坐禅をしましょう。

と語っていると思います。(こちらも同じく)

キリスト教 (ACIM)が外に向かうエネルギー、火の要素が強いとしたら、

仏教 (禅)は内に向かうエネルギー、水の要素が強いだけで、
伝えたいことはまったく同じのようだとおもいます。

どちらも、2元性の世界を通り越したところに焦点を当てている。

2元性の世界からみたら、禅の空は虚しい感じがするけど、

一瞬でも今、この瞬間に集中することができると、確かなものは何もない感じると同時に、
何かことばにはでは表せない100%満たされているという不思議な感覚を味わうことができる。
しかも、とても気持ちがいい。これが、いわんとしていることなのかなとおもいます。

もし、世界のみんなが、お金の心配とか、嫌いな人のこととか、食べたいものとか

一生懸命考えるかわりに、この瞬間、今ある自分に100%意識を集中する時間をつくったら、
余計なものごとをつくりださなくて、しかも世の中がもっとスムーズに動くようになるとおもう。

頭のおしゃべりには、うんうんと相槌打って、わたしはココに集中。
シンプルで潔いい、この世界観に近づきたい。




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<セッションのご感想>

・身体がひとりでに動いてとても心地よかった

・こわばりのある体の部分が楽になった

・昔に大きなケガをした右膝に対する信頼感を感じることができた

・振動が通っていない身体の部分に意識を向けただけで体が動き始めて驚いた

・忘れていた昔の怖い・悲しいという感覚があったということを思い出した

・振動後に胸から口までの通りが良くなって呼吸がしやすくなった

・顔の緊張がゆるんだ

みなさまにお会いするのを楽しみにしています!